第1話。地獄の始まり。適応障害になった看護師
私は現在病院勤めの8年目看護師。
これから書く内容は現在勤めている病院で適応障害になった話です。
適応障害は新人・ベテラン問わずどんな看護師さんであっても経験しうることだと思っています。もちろん症状については個人差があると考えます。
今回の内容を読んで頂くことで、一人の看護師がどのような経験を経て適応障害になり、そして立ち直っていくまでの様子が追体験出来るはずです。
焦って転職した病院。地獄の始まり
私が現在の病院に勤めた始めたのは看護師歴6年目でした。
当時は1ヶ月で前職場を体調不良で辞めて、仕事がなく焦っていました。今振り返れば、ろくに情報収集せず、とにかく働き先を見つけることで一杯一杯でした。
そんな矢先に出会った病院が現在勤める病院。
今まで勤めてきた病院では看護師として何不自由なく働けてきた。看護師6年目として気力・体力ともに充実していたはずでした。
入職してみて感じたことは、この病院は慢性的に人手不足であったこと。とにかく忙しい、そして忙しいことを理由に職員の雰囲気が険悪。
「とんでもないところに来てしまった。しかし1ヶ月で辞めたあとだから、すぐに辞めることは出来ない」
当時の私の気持ちはこのようなものでした。
家族がおり、どんなに忙しくても辞めるわけにはいかない。早く仕事に慣れる為にも、必死に働き続けました。
入職直後は多少気にかけられることもあり、声掛けしてくれる同僚も多数いました。どんな人か気になるから、との理由もあったでしょう。
その後、日に日に声をかけられることも少なくなりました。それだけなら昼間の時間を一人で過ごせば良いだけと思っていましたが、悲しいことに休憩室はテーブル席。誰かしら周囲に人はいるのです。
誰にも声をかけられる雰囲気ではない。5人座っているとして、私だけ会話に入れない。しまいには、あえて存在を無視するように話し出す同僚。
そんな中、私は遠くで流れるテレビを見る。少しでも気を紛らす為に。昼間に見るテレビが辛いなんて。徐々に孤立を深めていく。
入職して1ヶ月が経ちました
仕事も苦痛。休憩する時間も苦痛。こんなに人間関係が辛いなんて。看護師を6年続けてきて初めての経験でした。
ちなみに仕事では、少しの失敗で口調きつめに指導されます。周囲の看護師もその指導を目撃していますが、フォローはありません。
この失敗を重ねることで【仕事の出来ない看護師】として、周囲に評価されるようになりました。この職場は誰も助けてくれない、周りは敵だらけ、誰も信頼出来ないと1ヶ月で悟りました。
仕事の出来ない看護師
自分の癖はわかっているつもりでした。
私は緊張している場面や初対面の人と話すとき、語尾で咳込むようなことがあります。あとは意識して表情を気をつけていますが、真剣に話を聞いているときでもニヤけているように見えることがあります。
真剣に話を聞いているし、決して笑っているわけではないのです。そんな私の癖。今まで仕事をしていて、特に問題がなかったはず。
しかし、この病院では違った。
「ちゃんと話を聞いている?話を聞いたあとに、笑っているように見えたよ。真剣に話しているのに少しイラッとしたよね」
「それ癖なんでしょ、患者家族にも笑っているなら、相手に失礼だから直した方が良いよ」
こうした先輩達の言葉が突き付けられる度に「すみませんでした、気を付けます」と話す私。この一言を、この1ヶ月で何回言っただろうか。
私の内面が壊されていく
指導と言う名の言葉の暴力。周囲の看護師が多数いる中で、指導される。もちろん誰もフォローはしてくれない、見て見ぬふり。
何をやるにも声が強張り、緊張することが増えた。気付いたら看護師としての自信がなくなっていた。
そうした中で処置の準備が足りていなかったとき。
「今の時代の看護師さんは、患者さんのことを考えて処置をするって習っていないのかな?私の時代でもそういうことは習っていたけど、どうなの?」
私の心は廃れていった。どうしたら良いのだろうか。たった1ヶ月、されど1ヶ月。短い間で私は精神的に追い詰められていった。